コラム
Vol.07 『フットサル日本代表選手たちとの日々』 …向島 建
現役を引退して1年後の2003年3月、私は本格的に戦える身体づくりを始めた。
それは、フットサル日本代表候補に選出されたためだ。それまでフットサルは天気のいい日に緑の人工芝で、ドリブルやパスなどテクニックを発揮して、駆け引きし合い、皆で楽しくプレーするというのが私の中でのイメージであり、引退した私にとっての楽しみの一つでもあった。あくまでもエンジョイであり競技として本格的にプレーする気にはなれなかった。しかし、熱心な誘いにより再び真剣にプレーできる環境を与えていただいたことや、何かこれまでの自分の経験が伝えられるのではないか、自分自身の幅を広げられるのではないかと思い、7月のアジア選手権までの期間で参加することを決断した。レベルの高い競技としてのフットサルは、体育館などのフロアーが使用され、ドリブルを多用するのではなくパス中心のゲームで、攻守の切り替えが頻繁に行われ、体力的にも激しいスポーツである。
トレーニングから1ヵ月後、日本代候補合宿に参加した私は、そこでサッカーとフットサルの違いやフットサル独自の奥深さ、彼らの技術の高さを痛感させられた。ボールを止める・蹴る・運ぶという基本的な動作は、サッカーと変わりないことのように思えるが、Jリーグを経験した選手だからすぐにプレーできるものではない。そこはまったく違った場所でありサッカーの意識や感覚で入っていっては空回りする、経験を積まなければ彼らと対等にプレーすることは難しいことがわかった。
私にとって、これまで味わうことのなかった衝撃的な出来事だった。
その後も代表合宿の参加や他選手のチームで練習に参加し、フットサルに慣れてはきたものの、私が普段所属しているチームはなく公式戦を経験できないことやフットサルに費やす時間がつくれなくなってきたこと、日本で開催予定だったアジア選手権がSARSによりイラン開催になったこともあり、選手としてこれ以上プレーが続けられなくなった。
4ヶ月も満たない短い期間ではあったが日本代表選手たちと過ごしたことで、彼らが本当にフットサルに懸けフットサルを愛していることがよくわかった。目指しているものがあって、フットサルを何よりも楽しんでいた。彼らからも私に積極的に声をかけてきてはJリーグの話題やプロ選手の自己管理の話題、戦術的なことなど話は尽きなかった。プロではないとはいえ代表選手として意識の高さが感じられ、いい関係が築けた。そんな彼らから「フットサル」を学んだことは、サッカーをプレーしてきた私にとって大きな財産になった。実際にプレーした人でなければ分からないこと、伝えられないことがそこにはたくさんあり貴重な経験ができた。私が学び経験したフットサルを一人でも多くの人に伝えていければ、こんなに素晴らしいことはないだろう。
その後、フットサル日本代表はアジア選手権を自らの力で勝ち抜き、サッカーでいうW杯にあたる「FIFAフットサル世界選手権2004」(11/21〜12/5台湾)に出場するまでになった。縁あってこの大会で日本代表戦の解説をやることができた。そこには(1)川原(2)鈴村(3)前田(6)難波田(7)金山(8)藤井(10)小暮(11)相根ら代表合宿で一緒だったメンバーが名を連ね、以前より一回りも二回りも大きく成長し日本の代表として堂々と戦う勇姿があった。彼らは普段国内でプレーしているため、その高い技術を見ることは可能だ。彼らの凄さは勿論のことフットサルがさらに楽しくなるはずだ。
フットサルは、年齢・性別など関係なく楽しめる身近なものであり、今後も幅広く人々の生活の中に密着していくだろう。プレーする人々それぞれがレベルを選択し、自分にあったフットサルを楽しみ、近い将来その頂点にはフットサルのプロリーグが存在することを私は願っている。
プロフィール
- 名前:向島 建
- 生年月日:1966年1月9日生
- 出身地:静岡県
- 主な経歴:静岡学園高 - 国士舘大 - 東芝を経て1992年清水エスパルス入団。
1997年川崎フロンターレへ移籍。以来2001年の引退まで、要衝としてチームを支える。
2002年から川崎フロンターレフロントスタッフ。「ファイト! 川崎フロンターレ マンスリー(テレビ神奈川)」やサッカースクールコーチなど川崎のサッカー伝道師として多方面で活躍中。
川崎フロンターレ公式サイト http://www.frontale.co.jp